この写真は鹿児島県の桜島です。9月に鹿児島県知覧町に行き10月にも又行って来ました。鹿児島県知覧町には昭和の時代、第二次世界大戦日本国敗戦間近に神風特攻隊と言うとても残酷な歴史があります。
特攻隊とは零戦など飛行機もろとも米英国の戦艦に突っ込んで行くと言った日本国の作戦でした。日本の九州、占領していた台湾などから飛び立ち沖縄周りにいる米英国の戦艦に突っ込みます。敗戦間近の日本国が沖縄を米英国に支配される事は避けたいと思い付いた作戦です。何故数多くある特攻隊の基地で知覧町が知られているか?と言うと知覧町には軍指定の食堂が3つあり、その中の一つが富屋食堂です。そのオーナーが鳥濱トメさんです。
トメさんは10代.20代の特攻隊の若い人達のお母さん役に食堂でなっていました。そこで若い人達の話を聞いている内容、特攻隊の方々の手紙などが、この小さな一軒家の様な食堂に展示されています。第二次世界大戦で日本国が敗北した後もただの木を墓地代わりに建、コレが特攻隊員達のお墓だよ!と毎日手を合わせていたそうです。そのトメさんの行動、言動が知覧町を動かして作られた特攻隊の観音像があります。知覧特攻平和会館と言う立派な会館もありますが、私は鳥濱トメさんの富屋食堂の展示された方をいつも見にいきます。
鳥濱トメさんがいなければ、ここまで神風特攻隊と言う方々の生き様、死に様は世の中に知れ渡らなかったんだと私は思います。だから知覧特攻平和会館では無く、富屋食堂に私は行きます。
富屋食堂に行くと一番最初に感じる事は鳥濱トメさんの生き様と言うより使命感が心に刺さります。鳥濱トメさんがいなければ、特攻隊員の方々の生き様は分からずただ無駄な死になっていたのかも知れません。しかしトメさんがいたおかげで、日本国、日本人に受け継いでもらえますね。伝える❗️と言う大切さが身に染みて分かりますね。
特攻隊員の死に行く前に書いた手紙を読んでいると、良く書いている言葉に日本国の将来の為に❗️と書いてあります。10代、20代ですよ!今の高校生か大学生の年代です。この方々が書いている手紙を読んでいると日本人として日本国の為に何をするべきか?と言う事を10代には決めていたのかな?といつも考えさせられます。
後、一番感じる事は覚悟❗️ですね。もしかしたら諦めなのかも、ひらき直りなのかも知れませんが、、しかし私は覚悟だと思っています。
10代20代で日本国の将来の為に!と死んでいった特攻隊員の方々の気持ちを考えると俺は仕事頑張らないと❗️と感じて東京に帰ってきます。特攻隊員の方々が今の日本国を見てどう思うのだろう❓俺は日本国の為に何をすれば良いのだろう?と考えてしまいますね。
俺は年に2、3回この知覧町の富屋食堂に行きます。俺にとってのパワースポットだし、もっともっと俺の為、地域の為、日本国の為に頑張ろう!日本国の為に何をやるべきか?といつも魂が洗われますね!
いつも知覧に行く時は朝7時台の羽田空港発の飛行機に乗り、翌日の11時代の鹿児島空港発の飛行機で帰って来ます。鹿児島で周る所は富屋食堂で特攻隊員の手紙を読み、富屋食堂で昼飯を食べ、特攻隊員の寝床の三角兵舎跡地を観て、特攻隊員が沖縄に向かう目標である山、開聞岳の下を通る!コレがいつものパターンです。
でもね、コレで、コレだけで俺にとってめちゃくちゃパワーがもらえ力が込み上げて来るんだよね!後ね行く度に感じ方、捉え方が違うんだよね!
一度では分からないと思うので2.3回は行ってみてもらいたいですね!凄い力をもらえますよ❗️
頑張らないと❗️てね。良し、今日も頑張ろ❗️
2023
26
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