今日はとても嬉しい日でした。高校時代の野球部の友人と35年ぶりに会いました。木内九二生、今プロ野球で審判を仕事としてる友人です。3年前から東京ドームのシーズンシートを会社で契約していますが、ジャイアンツと阪神の開幕戦を観戦に行った時、主審、木内九二生!とアナウンスされた時、何故か分からないですが身体が震えました。私は高校時代、山梨県の日大明誠高校の野球部で3年間を過ごしました。休みも夏の3日と正月の2日、年に5日の休みでした。私は野球センスが無かったのですが、昔から負けず嫌いでレギュラーを取ったら辞めてやる!結局はレギュラーを取れなかった為3年間野球部を続けました。
木内は走攻守三拍子そろい1年生からベンチに入る様な選手でしたが、練習は人一倍頑張る人間でした。しかし練習しなくても野球センスのある人には勝てないのがアマチュア野球です。それが悔しくて悔しくてどうしよう無かったのですが、そんな私に早朝練習、夜間練習を付き合ってくれたのが、木内でした。しかし最後の夏に背番号8を頂きましたが、公式試合には一度も出ずに野球部の3年間は終わりました。それから野球が嫌になり、草野球もせず、プロ野球も見ずに50歳を迎えました。たまたま東京ドームのシーズンシートを契約する機会がありプロ野球を見る様になったのも、32年ぶりでした。私は頭が悪い方なので、高校野球の3年間を思い出すと、悔しくてしょうがなかったのですが、審判を仕事にしている木内を観て高校時代の木内を思い出しました。
俺は野球で大学に行き、社会人野球に入り引退したら、その時考えるんだ!と。今思うと俺は野球がそこまで好きでは無く、負けたのが悔しかっただけで木内の野球に対する情熱を思い出し俺にもっと野球に対する情熱があったなら変わっていたかも知れないと思いました。頑張る所が分からなく、違う所を頑張っていたんだと思う様になりました。50歳近くなった時野球馬鹿な木内を自慢している自分がいました。野球が好きでも人それぞれ情熱は違います。頑張っている!といっても人それぞれ違います。金儲けしたい!といっても人それぞれ情熱が違います。信念!情熱があれば、それなりにはなるよな!と2人で話しは共通しました。
今の私はこの建築土木業界を変えて少しでも若者たちに興味を持ってもらいたい!今の信念はこれだけです。私の情熱の結果が出るのも2年後には、出ると思っています。今思うと俺にとっての木内は高校野球の3年間の戦友だったのかも知れません。お互い馬鹿のまんまだな!と別れました。最後は情熱が強い方が勝ちますね!良し
2020
13
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