


昨晩高校時代の友人と会いました。木内九ニ生と言う友人です。私は山梨県の日大明誠高校の野球部出身で、その時の野球部の友人です。彼の今現在の仕事はプロ野球のNPBのプロの審判です。3年前か4年前、東京ドームでジャイアンツと阪神の開幕戦を観に行った時、主審 木内九ニ生とアナウンスされた時、木内だ!と鳥肌が立ちました。妻に俺の友人だよ!と自慢しました。昨年3月に連絡を取り35年振りに再会しました。野球部時代の木内は足も速く野球も上手く一年生からレギュラーを取れそうな選手で一年生の秋からレギュラーで活躍していた人でした。私はキャッチャーをやっていましたが、最後は外野手になってたような選手でした。木内は高校時代から名前の知れた選手で、私は3年間一度も公式試合に出た事が無い様な選手でした。しかし負けん気の強い私はレギュラーになったら野球部を辞めてやる!と思い、結果レギュラーを取れなかった為、3年間野球部をやっていたのでしょう。しかし私は運動神経が良く、1学年450人いた生徒の中、スポーツテストで2人しかいなかったAランクの生徒でした。その為、いつかレギュラーを取れるだろうと朝から晩迄、レギュラーの選手より長い時間練習したのを覚えています。そんな俺にいつも付き合い、励ましてくれていたのが木内でした。私がいた野球部は一年生から三年生迄部員は100名を越していました。今思うと組織!と言う事を知ったのがこの3年間なのでしょう。私が野球部にいた時、ポジションを競い合っていたレギュラーの選手は野球は上手いが練習態度などが気にいらなかったのでコイツらがレギュラー?と納得していなかったのを今も覚えています。その為、野球部を引退してからは野球が大嫌いになり、3年間共に汗を流した野球部の部員とは全く連絡をしていません。それ程悔しかったし今もあの悔しさは忘れてられません。
木内と35年振りに再会して話をしていた時、フっと気付来ました。俺はレギュラーを取りたく負けたく無いから野球をやっていました。しかし木内は違います。野球に対する誰にも負けない情熱があったのでしょう。高校時代、木内の言った言葉は忘れる事はできません。俺は大学に行き、社会人になり野球をやり続けたい!駄目になったら母親の保険屋でも継ぐよ!て高校時代、10代の木内の言った言葉が忘れる事は無かったですね。木内を東京ドームで観た時、コイツまだ野球やってるよ!と感動と尊敬したので鳥肌が立ったのでしょう。もし私が高校時代、野球に対する情熱が在ればレギュラーを取れていたかも知れないですね。木内に言われました。監督さんは名尾には一目置いていたよ!と公式試合には一度も出た事はなかったですが、3年生の最後の夏の大会に背番号8をもらいました。しかしお情けだと思いあまり嬉しくなかったですが、木内に背番号8は俺の背番号だよ!とアっと30年以上経って気付いた俺がいました。無神経ですね。
こんちくしょう!こんちくしょう!と生きて来た私ですが高校野球の3年間があるから今のエネルギーがあるんですね。それと組織の嫌いな所しか無かった高校野球の3年間がありました。その為に今の名尾建は出来る事なら各自が納得出来る組織を作りたいですね。アイツはなんで年収1000万?では無くアイツだから年収1000万!てね。その様な組織が出来れば最高の組織が作れるはずです。それが私にとって夢に近い目標ですね。
木内?相変わらず馬鹿で熱い男でした。一生付き合う数少ない友人だね!木内は野球に対する情熱!俺は土木建築業に対する情熱^_^かな?マァイイや!情熱と根性だね。世の中は!良し、今日も頑張ろ!