経営者!社長!代表取締役!っといろいろな呼び方がありますが、全て正解です。私も21歳に名尾建材と言う会社を初め、23歳で法人にしました。今年2024年で35年目になります。その頃に出会ったのが今現在、名尾建で活躍している古川専務、森部長、川崎部長です。30年以上の付き合いのある人が会社内にいるのが私の人生で唯一の誇れる自慢です。従業員が多いとか、会社の売上が多いとか、そんな事よりも30年!と言う歴史が私の自慢です。
凄いだろ!妻の真由美さんとの付き合いも来年で40年になります。俺!名尾俊太郎の事を一番分かっているのは勿論!真由美さんだと思いますが、名尾俊太郎の仕事をする上で一番分かっているのは、共に闘っていた3人です。私も若かった為単純にお金持ちになりたい!なんて簡単な発想でした。3歳ぐらいの子供が大きくなったら犬になりたい!と言っているレベルですね笑。
若い頃から商売をやると勿論失敗もたくさんします。ほとんどの失敗は見栄からの失敗です。お金をたくさん持っている様に魅せるために、借金で良い車を乗ったり、大型ダンプを買ったり、必要もないのにユンボを買ったり、クラブに飲みに行ったりね。20代の若い頃は見栄っ張りと戦っていた様に感じますね!27歳の時には3億以上の借金になり、いよいよお金も回らなくなり、持っていた大型ダンプ3台4tダンプ4台やユンボ7台の仕事道具である建設機械などを売っても1億6千万ちょっとの借金が残り、八王子信用金庫、今の多摩信用金庫に行って、1億6千万円の借金を事故扱いで構わないと、踏み倒そうと言いに行きましたが、金利だけ払って下さいと毎月何万円とすこーし払っていました。勿論持っていた6枚のカードも全て取られてしまいましたよ! 妻の真由美さんに、俺は今から現金で生きるから、家も現金で買うから!とそんなバカな20代でしたね笑笑。給料も遅れたり今だから笑い話ですけどね笑笑。私が40歳ぐらい迄は、古川、森、川崎3人は給料の時に、今日!給料もらえますかね?と言うのが毎月給料日の口癖でしたね笑笑。借金に追われて借金!と言うお金と戦っていましたね。
目標はお金持ちから普通の生活をする事が目標になり、妻の真由美さんが毎月10万円でいいから毎月、給料ちょうだい!なんて言っていた事を思い出します。
10万円で生活?当時は都営住宅に住んでいたから家賃は20600円!消費税3%でしたからね。真由美さんも俺にいろいろと言いたかったらしいけど、仕事だけは毎日毎日、暑い日も寒い日も朝から晩まで働いていたから文句言えなかったんだって!笑笑。
27歳から41歳迄金融機関の支払いを止め、金利しか払ってませんでしたが、41歳からは普通に借金を払える様になり、今の名尾建があります。
借金と戦った27歳から41歳の14年間でしたが、今思うとこの14年間がな〜にも考えない、お金に追われていましたが、借金を返す事しか考えない楽な時代でしたね!今、考えるとね!
借金地獄とは代わり毎月人より多くの給料を取る様になり、お金に追われていた俺がお金を稼いでも、お金の使い方が分からない!でも、お金がなかったから、少ないお金を多く魅せる技術は知恵と工夫で身に付けましたね!
何を言いたいか?と言うと借金でお金に追われていると借金を返す事だけしか考えなくて良かったから今思うと楽?でしたね。今は?と言うと、人、お金が俺には集まって来るから、俺は何かをしないと!といつも考えています。今迄は借金と言う、点で考えていた事を人の為、日本国の為に何を俺はしなくてはいけないのか?と考えている私がいますね!今は自分との闘いですかね。
こないだね、名尾建祭にサスケの第一ステージを追加していたアスリートの方も来てくれていて、プロスポーツチームの代表の方にアスリートを紹介していたのですが、私は言いました!
アスリートも戦っていますが、経営者は24時間365日闘い続けているからね!俺は経営者としてファイターだから!経営者もファイターでいたいね!とね。持って生まれた身体能力では無い生きる為の体力!それとタフさが経営者には必須ですね。
戦い続ける人生が俺の人生!かな?なんか楽しいですよ!笑笑。
人生逃げていてはダメですよ、今からでも闘えますからね!だから良く言います。行事一つとってもそうですが、人が集まる事が成功では無く、やる事が成功だからね!人生は闘いですね。
2024
11
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