昨晩は沼津港の食事処で三島石鯛クラブの三輪さんと川崎石鯛クラブの関口さんとの3人で食事をしました。食事をしたと言うよりは、私と関口さんと2人で三輪さんに挨拶に行ったと言った方が正しいでしょう。踊り子磯釣り大会を今年から復活させるのにあたり、三輪さんには納得して頂きたい1人であり電話では失礼なので、時間を作ってもらいました。人によっては仕事と遊びは別だと言いますが、私は仕事と遊びは一緒だと私はいつも思っているし、社員達や若い人達にも言います。
簡単に遊び!っと言いますが、私が石鯛釣りを始めたのが27歳の時です。今53歳なので26年と長い月日が経ちますが、私が知っている26年前から、沼津潮クラブの名誉会長の藤川会長と三島石鯛クラブの三輪会長の2人は伊豆半島の石鯛釣りの先駆けでした。憧れと言うよりは伊豆半島で石鯛釣りの行事がある時は必ず2人がいました。私も日本のいろいろなところに石鯛釣りに行きますが、伊豆半島ほどまとまりがある所はありません。私が知っている限り26年変わらないのは、藤川親子と三輪さんがいたからだと思います。歴史を見ると、踊り子磯釣り大会が38回目なので2年前に休会になっているので、40年前からこの様な形が出来ているんですね!藤川会長と三輪さんの関係は2人がたまたま出会ったのでこの様な大きな組織が出来、なおかつこれだけ長く継続出来たのだと思います。藤川会長とは家族ぐるみで親子の様な付き合いをさせてもらっていますが、親父も80歳を過ぎ親子に何かあったら石鯛釣りのお祭り事が無くなると思い、私は踊り子磯釣り大会を復活させようと考えました。踊り子磯釣り大会とは別に関口さんとは、5年前からこの様に人が集まる場所を作ろうと話していました。
私の考えは仕事が99%で石鯛釣り1%です。私にとって石鯛釣りは仕事をする為の安定剤みたいなものです。しかし1%の安定剤が無くなると不安です。別に皆んなが集まる所が無くなっても良い!とは思わなく、人生いろいろな人と出会い人を観察する事で人は成長すると思います。知らない間に私にとって石鯛釣りも仕事と一緒で人生の一部になっていますね。
三輪さんと話す事が出来、三輪さんと藤川親子の関係は切っても切れない腐れ縁ですね!私の会社でも30年以上在籍してくれている人が3人います。20年以上在籍している人も何人かいます。こんな私でも1人いなくなると考えます。その為の組織作りをしています。しかし藤川親子と三輪さんのツートップの下にリーダーになる器がいなかったですね。逆に2人の勢いに入れないんだと思います。
三輪さんになんで大会をやるのに踊り子磯釣り大会なんだ!っと聞かれました。私は踊り子磯釣り大会の名前を使う事により、私達の下の若い世代に伝えやすい!と答えました。踊り子磯釣り大会を復活させる事で藤川会長の継続は力なり!1人になってもやるべきだ!と言う言葉や、やる!と言う言葉の重みを勉強します。三輪さんが、なんで踊り子磯釣り大会の名前を使ってやるんだ!と言う事で言葉の重みを感じますし、三輪さんのその言葉一つで三輪さんの迫力を感じます。わかっていても、緊張します。この三輪さんの一言で今日は三輪さんと食事が出来て良かった!と思いました。三輪さんが最後に一言、協力するから!そして今日は私と関口さんと2人でお金を払おう!と言っていたのに、三輪さんが先頭に歩き会計をしていました。今日は払わして下さい!と言おうとしましたが、その様に言うと怒られるぞ!と言われていたので言わなかったです。この事も藤川会長に聞いていたので(^^)最後まで三輪さんでした。やっぱり仕事と遊び!意味は違いますがやってる事は一緒ですね。
次の日、朝から稲取岬のチョンボリにサザエを3キロ持っていきました。結果はアカハタ2匹とカサゴと最後に2キロ弱の石鯛が釣れました。あーなんかスッキリした。良し、仕事頑張るか!
2020
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